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駅のホールに咲いたはかない恋の物語 [Traviata im Hauptbahnhof]


La Traviata im Hauptbahnhof
Giuseppe Verdi (1813-1901)

指揮    Paolo Carignani
演出t    Adrian Marthaler
衣裳    Florence von Gerkan
合唱指導    Jürg Hämmerli

Violetta Valéry    Eva Mei
Flora Bervoix    Katharina Peetz
Annina    Liuba Chuchrova
Alfredo Germont     Vittorio Grigolo
Giorgio Germont    Angelo Veccia
Gastone    Boguslaw Bidzinski
Barone Douphol    Gabriel Bermudez
Marquese d’Obigny    Reinhard Mayr
Dottor Grenvil    Tomasz Slawinski
Giuseppe    Noel Vazquez
Domestico    Heikki Yrttiaho
Comissionario    Uwe Kosser
                
演奏: Oper Zürich
合唱: Oper Zürich

第一幕:ヴィオレッタのパーティー
ヴィオレッタのパーティーは、駅構内のバーで繰り広げられる。このバーの外に並べられた席には、実はこの20〜21日にチューリッヒに行った時に私も座った(カフェラッテを飲んだ)。この店の隣に、花屋があったかどうか忘れてしまったが、グリゴーロ扮するアルフレードの衣裳はどことなくその昔の鉄道職員風であり、やっぱり寒いのか、メイもドレスの上にショールを着ていた。乾杯はワインではなく、アルフレードはビール、合唱はなんとソーセージかなにかで。
 

そして、白い椿の花を渡されて有頂天のアルフレードはなんと電車に乗って行ってしまった!その後、パーティーの客達は構内中央に設けられたオケ前の空間で別れを告げて去って行く。最後に残されたヴィオレッタは、貨物輸送用の荷台に乗って"Sempre Livra"を歌う。これが、ヴィオレッタの心情や社会的立場の寂しさを象徴しているような気がした。そして、プラットフォームの浮浪者(これは演出でしょうね? スイス鉄道の駅には浮浪者なんて居なかったような気が)の横で降りて、最後の節を歌い、幕(って幕は無いから、カメラの視界から去って行く)。


第二幕第一場:ヴィオレッタのパリ郊外の家(オリジナルの設定)ならぬ、駅構内のカフェ
そう、この椿姫では、アルフレードとヴィオレッタの二人は一緒に暮らし始めてからは駅構内にカフェを開いているのであった。椅子に腰かけ、客に愛嬌を振りまきつつ、カクテルかなにかを作りながら、ヴィオレッタとの過去3ヶ月間の蜜月を想い出しながらすっかり自己満足に浸っているアルフレード。カフェの主人が板についているんですけど[手(パー)]

 

しかし、そこへアンニーナが戻って来て、実は二人の生活はヴィオレッタが借金や宝石等を売ったお金で支えられていた事実を知り愕然とする。そして、アンニーナが持っていたスーツケース(借用書でも入っているのか?)を掴み、どこかへ走り去って行く。そこへ登場したヴィオレッタは、アルフレードの父の訪問を受け、分かれるように説得される。父が去った後、何も知らないアルフレードは紅い薔薇の花束を抱えて(ひょっとしてプロポーズでもする気だったのだろうか)、そそくさとヴィオレッタの許へ戻って来るが、突然、ヴィオレッタから別れを告げられる。傷心のアルフレードに、父ジェルモンは『プロヴァンズに帰ろう』と言うが、アルフレードは『復讐する』と言い、父の制止を振り切って飛び出して行く。



第二幕第二場:フローラの夜会
闘牛士とジプシー女のダンスはバレエダンサーではなく、合唱の人達が歌いながら踊っていた。アルフレードはクレーン車に乗って、ギャンブルしている。ヴィオレッタ達が登場すると、男爵を挑発、賭けに誘う。やがて会食の時間になり、ヴィオレッタはアルフレードを呼び出す。ヴィオレッタを諦め切れないアルフレードに、『もう愛していない』と告げるが、裏切られたと激高したアルフレードは、皆を呼び(と言っても、皆既に席についているので、こっちを見て!と呼びかけたって感じ)、ギャンブルで稼いだ札束をヴィオレッタの前にまき散らし、『借りは返した』と告げる。屈辱に崩れるヴィオレッタ。無礼な行いを出席客、そして父親のジェルモンに咎められるアルフレードは激しく後悔する。
 
 


第3幕:二人の再会とヴィオレッタの死
設定はヴィオレッタの寝室のはずだが、駅構内にそんなものはない。代わりに、同じ構内でも中央の開けた所から少し横町に入った所にある椅子、テーブルが背景だ。医者が往診に来るが、アンニーナにはそんなに長くないだろうと告げて帰って行く。ヴィオレッタはアンニーナを買い物にやり、独りになるとジェルモンからの手紙を取り出し、読み出す。『帰って来る』と言う文面に、『遅過ぎるわ』と吐き出すようにつぶやきながらも、待ち続けるヴィオレッタ。そしてそろそろと歩き、救急車と担架ベッドが待つメインステージであるオケ前へ。カーニヴァルに湧くパリの町のざわめきが聴こえて来る。アンニーナが戻って来て、アルフレードとジェルモンがやって来た事を告げる。再会を喜び合う二人。カメラワークは二人をかなり至近から録っており、アンニーナは少し遠くに突っ立て居るだけで殆ど二人切りの世界。ジェルモンに至っては、最後にちょっと出て来ただけだった(そう言う演出なのかもしれないけど、ちょっと存在感が無かったような)。教会に感謝の祈りを捧げに行くと言うヴィオレッタだが十分な力がもう無い。今回の演出では二人は担架ベッドの上で祈りを捧げた後、ヴィオレッタが『不思議な力が湧いて来たような感じがするの』と立ち上がり、数歩歩いた所で倒れ、走り寄ったアルフレードの目前でこと切れる。ヴィオレッタの遺体にすがりついて泣くアルフレード。どうもグリゴーロ君が相手役だと、主人公カップルが『はかなげで可愛らしく守ってあげたいカップル』に見えてしまう。元々、メイも好きなソプラノというのも手伝って、この第3幕は何度観ても涙が出て来てしまった。


カーテンコール
グリゴーロ君は終演後も、合唱団がカーテンコールをする為に邪魔になる担架ベッドを脇に動かしたり、指揮者を呼びに来たりと、裏方がやれば良いような仕事をやっていた。オペラ歌手って、例えばフローレスはレパートリーから言っても喜劇出演が多いのだが、楽屋口等で垣間見た所では実際は結構『天然』で真面目そうな人である。グリゴーロ君は素顔も結構ハイパーそう(そして気のいい奴、って感じがするけれど、どうなのだろうか)[目]

カット
今回の公演ではカットが入っていた。他にもあったかもしれないが、私が気づいたのはフィナーレのところで、"Ah! non piu....a n tempio"の後に、ジェルモンが登場する箇所だ。フィリアノーティの出ている公演の映像では、この後にブルゾン扮するジェルモンが登場し、ヴィオレッタと言葉を交わす。短いシーンだが、名バリトンならでは、そんな一寸の登場でも存在感がある。チューリッヒHBの方ではこの部分がカットされていて、そのままストレートにヴィオレッタの死の場面に移行して、ジェルモンに関してはカメラワークで姿を映すのみだった(が、あのアリア以外はなんだかオブジェ的存在感のジェルモンだったので、これで良かったのかも)。

指揮、演出等
若いイタリア人の指揮者で、軽やかで速めテンポの音楽作り。『ルチア』のパパ・サンティの創り出したやや遅めだが伸び縮み自在の音作りにも驚いたけれど、今回のテンポには新しさを感じた。演出も駅の雰囲気を生かした、不思議と詩情溢れるものだったと思う。

グリゴーロ君の歌唱
まず、正直言って、コンディション最高だったとは言えないと思う。普通テノールのコンディションが悪いと言うと、高音が割れたりするが、グリゴーロの場合は明らかに高音の方が得意そうで、それはなかった(私に取っては、高音が割れたり、出なかったりしないのも、ポイントが高い)。ただその代わり、低音部が殆ど出てなかった(或いは何かの理由でマイクがちゃんと低音部を拾えていなかったか)。そして、弱音(ソット・ヴォーチェ)についても同じ。聴こえにくくなってしまっていた。生声だった『ルチア』の時のものと聴き比べてみてもこれは明らか。ただ今回は相当のハードスケジュールだったと思うし、オペラの声ってマイクで全て拾い切れない所が絶対あると思うので、一体どちらが原因だったのか判りかねる。ただ、声が円熟していると言っても、いずれにせよ、本人も言う通り、本当のマエストロになるには、まだまだ発展途上なのだろう。温かく見守ってあげたいテノールだと改めて思った。

グリゴーロ君のアルフレード
しかし、そのような『弱点』を加味しても、彼のアルフレードは魅力的。 まず、何と言っても天性の美声。これだけは訓練で得られるものではないので、このまま熟練して行った場合は、将来(そんなに遠い将来ではなく、3年後位)が楽しみだ。私は昔はドラマティックテノールが好きだったが、バスティアニーニに出会ってバリトンの声に目覚めてからは、『テノールはリリカルな方が良い』と思うようになった(特にイタオペでは低音部はバリトンが担当するから)。だから、役にもよると言う条件付きながら(例えばヴェルディの『オテロ』とか、ワーグナーのヘルデンテナーとか)、バリトンみたいな声のテノールよりはリリコの方が好きになった。グリゴーロの声には、そのテノーレ・リリコらしい、若者の率直で純粋さに満ちた詩情が溢れていると思う。それにデカプリオ+ブルーム÷2的な可愛いツバメ系のルックスもこれらの役柄に合っているし、感受性に溢れていて、役の理解も素晴らしい。私はオペラは好きだけれど門外漢だから、歌唱がどうのと言う事よりも、アルフレード役にハマっているかどうかの方が気になる。その意味で、私にとってはグリゴーロのアルフレードは痛い所に手が届くアルフレードだった。と言う訳で今回も『ドン・カルロ』、『ルチア』に引き続き、

Bravissimo, Vittorio!!



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コメント 2

keyaki

こんなに感動的な3幕ってないんじゃないかと思うほどエヴァ・メイが素晴しいし、アルフレードはグリゴーロ君じゃないとこうはいかないな...と思いました。

本当に、よく気が利くグリゴーロ坊やですけど、これって一人っ子の特質かもしれない....大人の中で育っちゃうから。それとイタリア人の男性は、子供の頃から、こういうふうに躾けられてる、なんていうか、母親が手足代わりに使う、日本のように男の子にはなにもさせないということはなくてその反対みたいです。母親には従順でも夫になると亭主関白なんで、子供を使うってことのようです。
それとポップスのツァーなんかだと、なにもかもお膳立てしてもらって歌うだけというのではなくて、いろんなお手伝いをしてるんじゃないかしら? シカゴのコンサートの時も、音の調整とかに走り回っていたようですから。
とにかくユニークですね。

本当に「はかない恋の物語」でしたね。ってなんかグリゴーロ君だとみんなそんなかんじになりますね。そうそうと思い出しながら、読ませていただきました。
次に書く記事にリンクさせて下さいね。
by keyaki (2008-10-03 02:53) 

babyfairy

フィリアノーティとデヴィーアのをもう一度聴いてみましたが、そうですね、素晴らしいんだけど、泣けて来るところまで行かないんですよね。なんでだろう。エヴァ・メイのヴィオレッタもこんなに迫真に迫っていて、涙を誘うとは思いませんでしたが、やっぱりそこに、グリゴーロ君の『本当にヴィオレッタを純粋に愛していた』アルフレードの愛に感動するのかもしれません。

我が家の息子は6歳迄一人っ子だったけど、こんなに気が利きませんよ。でもお弁当とか、部屋の掃除、ゴミ出しはさせてますがーー;。



by babyfairy (2008-10-03 03:59) 

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